1985年9月?頃の夜フィリピンのニノイアキノ国際空港に降り立ちました。
経緯は友人の家族が三軒茶屋で営む薬屋に寄ったら友人は忙しそうだったので
僕は店の隅で待っていたら待合室にいたじいちゃんがこっちにきて座れと
呼んでくれたので座ったら周りはお年寄りばかりでどこから来たとか
どこか悪いのかとかいろんな事を聞かれ僕は元々ばあちゃんに育てられたので
そのうち会話も弾み流れでマッサージをしたらウケがよかったのか
今度はいつ来るとか楽になったとか気持ちよかったとか言われ僕も嬉しくなり
それからはたまに顔をだしていました。
そうしたら突然じいちゃんから近くに使っていない家があるから
そこでマッサージ屋やらないかと言われ最初は三茶に住めるような身分じゃないと
お断りしたんですがじいちゃんにしつこく言われとりあえず見に行きました。
そうしたら茶沢通りという商店街のすぐ裏で家は駐車場もあり高そうだったので
家賃の事を考えたら無理だと再度お断りしたらもちろん家賃はいらないと!?
たまにタダでマッサージしてくれたらいいと言われ僕の頭の中の計算機は
三茶=一軒家=リッチ=モデルや芸能人いっぱいetc…で即引越しして開業!
開業はしても看板はだしていないし宣伝もしなかったのでお客さんはお馴染みの
じいちゃんばあちゃんだったので楽だったのですが口コミで開業して半月後には
近所の喫茶店が待合室になるほどまでになりました。
お年寄りの情報網侮れません!
数か月後お世話になっているじいちゃんが元気がなかったのでどうしたと聞くと
「兄がフィリピンで倒れたが誰も行けないからお前行ってくれないか」と
当時の僕はフィリピン=セブくらいの知識しかなく言語も何もわからないから
役には立てないと言いましたがじいちゃんも障害があり飛行機に乗れる状態ではなく
「パスポートはあるよな?旅行会社には伝えてあるからすぐに電話してくれ」と
言われるがままにチケットを用意させられ何もわからずその日の夜には旅立ちました。
いま考えるとこれが人生の分岐点だったんだなと(笑)